せたの備忘録

腐女子でオタクで少し夢女子な人間が思うこと

「摩耗」

アンドロイドになりたい。

私は2年前までそう思っていた。

少しおかしな話ではあるけれど、何か行動を起こす度に感情が邪魔になっていた。

 

人間は何かしらのアクションに対して考え、感じ、行動すると考えられている。

しかし、私はその考え、感じる部分が不要だと思った。

モノやヒト、出来事に対して抱く気持ちを感情とすると、感情をなくすことによってより合理的でスムーズに行動できるとその当時は信じて止まなかった。

 

何故そこまでして合理的に生きていたかったのか、振り返ってみてもよくわからない。

合理的にすることで作られた時間は睡眠時間に消えていただろうし、

そうでもしないとこなせないような仕事量でもなかった。

 

ただ、考えたのは「感じることで摩耗する」からなのではないか、ということ。

その「摩耗」こそが私にとって非常に重いことで、耐えがたいこと。

感情を感じるということは私にとって体力が必要なこと。

例えばご飯を食べているとき、「おいしい」と感じるためには匂いを嗅ぎ、その匂いで肺を満たし、自分の舌に注意を向けて食物の味を感じること。

客観的に見たときの行動としては、私も同じことをしている。

しかし、その1つ1つを自分の身体に注目して行うことが「摩耗」だったのである。

その「摩耗」をするほど私は余裕はなく、するほどの土壌が整っていなかったのではないだろうか。

そうした余裕や土壌のなさから「摩耗」へ耐えることができず、感情が邪魔だと感じていたのではないか、と今でなら思う。

そのために感情を捨て、アンドロイドになることでその「摩耗」を回避して日々を過ごすことが私の防衛術だったのだろう。