せたの備忘録

腐女子でオタクで少し夢女子な人間が思うこと

夢女子だからよかったこと

友人が「よく非行に走らなかったね」と私に言ったことがあります。

確かに私は周りのちょっぴりヘビーな環境に影響されることなく、非行とかけ離れた元気なオタクになりました。

 

何故だろうと考えると、思い当たるのは自分が「夢女子」であるということだけでした。何を言ってるんだこいつと思うかもしれませんが。

夢女子とは自分の好きなキャラクターやアイドルが自分と恋愛していることを妄想するような人のことを指します。

私が夢女子になったのは中学2年生のころで、中2病真っ盛りでした。手に包帯とか巻いてました。

その当時大好きだったキャラクターが敵によって殺されてしまい、泣きながら作者さんに要望書を出そうとしていました。だって死に方がえぐいんだもん。結局作者さんが「もう彼は出しません」と発表し、「私がこの世界のこのポジションだったら彼は死なずに済んだかもしれない」と考えていたことが夢女子になるきっかけだと思います。

この時期は周りの環境が変化し、適応するのが大変なときでもありました。

 

そこで私は、現実と理想のギャップを埋めることが難しくなり、時々「夢」に浸るようになりました。

「夢」では自分の大好きなキャラクターたちと日々生活したり、殺されてしまったキャラクターを救うために試行錯誤していました。自分に色んな設定を作って、衣装とかも考えていました、怖いですね。

そのうちに時折現実世界で辛かったことがあると、「夢」の世界で慰めてもらうようになりました。

 

その作業は何年も続き、一番大変だったときではほぼ毎日「夢」の世界でキャラクターに慰められていました。

今思い起こしてみると、「夢」の世界だろうとキャラクターだろうと動かしているのは自分自身なので自分で自分を慰めていることに他ならないのですが、当時は非常に重要な作業だったなあと思います。

「夢」の中では駆け込んだら慰めてくれる誰かがいて、その誰かは私が欲しい言葉をくれるし、眠り就くまでそばにいてくれる。

現実でどうにもならないことや傷つくことがあったとしても「夢」の中でキャラクターたちと生活したり、奔走することで現実での大抵のことは乗り越えていました。楽しくて、愛されている世界にトリップすることで現実から目を背けていたのでしょう。それに辛いときも労って、慰めてもらえたので私の心の拠り所になっていたんだなと感じます。

 

きっと夢女子ではなかったら、私は今頃どうしていたのかと思うとゾッとします。おそらく現実の世界に耐えられなくなって、今こんなに元気にスマホゲームのイベントを走っていなかったでしょう。私には「夢」という安全基地があったからこそ理不尽でも立ち向かえたんだなあと思ってます。

 

でも、長く生きていく上でその心の拠り所や安全基地を身近な人間に移すためにはまた色々とやらなければならかったことがあるのですが、それはまた気が向いたら。

 

今はどちらかというとアイドルの子と道ばたですれ違って、声を掛けたいけどプライベートを邪魔しないでおこうと思ったら、その1週間後に彼が芸能界を引退すると知って後悔したいです。

「摩耗」

アンドロイドになりたい。

私は2年前までそう思っていた。

少しおかしな話ではあるけれど、何か行動を起こす度に感情が邪魔になっていた。

 

人間は何かしらのアクションに対して考え、感じ、行動すると考えられている。

しかし、私はその考え、感じる部分が不要だと思った。

モノやヒト、出来事に対して抱く気持ちを感情とすると、感情をなくすことによってより合理的でスムーズに行動できるとその当時は信じて止まなかった。

 

何故そこまでして合理的に生きていたかったのか、振り返ってみてもよくわからない。

合理的にすることで作られた時間は睡眠時間に消えていただろうし、

そうでもしないとこなせないような仕事量でもなかった。

 

ただ、考えたのは「感じることで摩耗する」からなのではないか、ということ。

その「摩耗」こそが私にとって非常に重いことで、耐えがたいこと。

感情を感じるということは私にとって体力が必要なこと。

例えばご飯を食べているとき、「おいしい」と感じるためには匂いを嗅ぎ、その匂いで肺を満たし、自分の舌に注意を向けて食物の味を感じること。

客観的に見たときの行動としては、私も同じことをしている。

しかし、その1つ1つを自分の身体に注目して行うことが「摩耗」だったのである。

その「摩耗」をするほど私は余裕はなく、するほどの土壌が整っていなかったのではないだろうか。

そうした余裕や土壌のなさから「摩耗」へ耐えることができず、感情が邪魔だと感じていたのではないか、と今でなら思う。

そのために感情を捨て、アンドロイドになることでその「摩耗」を回避して日々を過ごすことが私の防衛術だったのだろう。